2007年05月04日

水に関する至言・卓説集 第2選

水や川に関わる書籍を読んでいると、「なるほど」と心打たれる言葉や論説に出会うことがあります。
そんな水に関する至言・卓説を紹介するシリーズの第2弾。

今日は最近読んだ4冊の本から紹介させて頂きます。

◆「社会を映す川」(高橋裕 P31)

明治以来、日本の治水は西欧型文明の吸収と軌を一にして、モンスーン・アジア地域で始めて洪水を抑え込む果敢な技術で対処してきた。それは相当程度の成功を収めた。しかし、これからの地球温暖化と人口減少、それに伴う土地利用の変化が予想される日本に必要なことは、従来型治水の延長ではなく、日本社会がこれまで築いてきた自然共生型の土地・水利用を「土地と水の哲学」として21世紀型に再構築することである。

◆「水と世界遺産」(朱安新 P210)

近年、水の利用や管理をめぐる行政的対応・処理が制度的に確立してきたため、水の利用が便利になってきた一方、自分たちの手で管理できていた「近い水」が手の届かない「遠い水」となってしまっている。

◆「東京エコシティ 新たなる水の都市へ」(久野紀光 P146)

都市の水辺とて例に洩れず、河ならば護岸によって河道は規定され、海ならば干潟や浅瀬は次々と埋め立てられ、安定した”陸”とされた。こうして陸と水は明確に区分され、わが国にも技術に裏打ちされた機能的役割分担都市が完成した。ところが、いくら人間が日常の生活を陸に預けこれと水とを区別しようと試みても、自然の力はその境界をしばしば簡単に乗り越える。突破される度に技術でより強い境界を構築すれども、力でねじ伏せようと歪められた自然とのバランスはさらに強い突破力をもって人間の設定した境界の崩しにかかる。
渇水、集中豪雨、鉄砲水、増水、洪水、温暖化・・・・・・技術とのいたちごっこは、近代合理性の象徴たる明確な区分という自らが決めたルールが引き起こす悪循環以外のなにものでもない。そろそろ、そうした力技が引き起こす悪循環にしのぎを削ることはやめて、かかるエネルギーを違うベクトルに向けたほうがよほど楽になるのではないだろうか。

◆「人と水」(白幡洋三郎 P23)

池や川の岸は柵や防護フェンスで囲われ、堀や水路はフタで隠されて安全にはなったが、人の注意力を減退させ、ひいては人間の感覚、美意識をも鈍磨させた。水への観察力は近代の技術的進歩によって減退したように思える。

posted by 和田 at 09:10| Comment(1) | TrackBack(0) | 水の至言・卓説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

あまりにも偶然だと思いますが,
上に書かれた朱安新さんにも白幡洋三郎先生にもお世話になったことがあるものでございます。
朱安新さんは,10年の付き合いのある先輩であります。
白幡先生には,北京で日本文化の授業を半年受けさせてていただいたことがあります。親友の指導教官でもあります。

お二方の指摘を受けて,これからの河川との付き合い方をどうすればよいかを考えることのほうが,必要なのではないかと思います。
Posted by at 2008年02月11日 21:32
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